読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

おとやろぐ

イタリア製・ソ連製西部劇研究家見習い

雲南旅行記

旅行

以前のエントリーで何回かに分けて怒江リス族自治州のトラベルガイドを書きましたが、4月に2週間ほど雲南省を訪れていました。以下はその旅行記録です。

1. 騰衝まで

今回の旅行の主目的は怒江リス族自治州の丙中洛郷を訪れることでした。ただ、何も考えずに行き帰りの飛行機をとったため、丙中洛を訪れるだけでは少々時間が余ってしまいそうでした。そのため、昆明からまず騰衝を訪れ、そこから丙中洛を訪れることにして旅行プランを立ててみました。

1日目、羽田空港を午後2時半にたつ中国東方航空便で上海の虹橋空港を目指します。今回は虹橋空港虹橋空港発のフライトだったので余裕だろう、と思っていたのですが、国際線が発着するのは第1ターミナル、国内線が発着するのは第2ターミナルというちょっとしたワナがあり、(ちゃんと確認しておかなかった自分のせいではあるのですが)ばたばたとバスに乗って第2ターミナルへと移動。午後8時過ぎの中国東方航空便で昆明に向かいました。

昆明には1日目の真夜中、日付が変わるころに到着しました。昆明は7年ぶりだったのですが、以前訪れたときにはまだ新空港はできておらず、市街地の近くの巫家壩空港を使ったので、今回長水空港を訪れて、市街からかなり離れてしまったことに驚きました。長水空港から市街まではシャトルバス(25元)、シャトルバスの停留所からはタクシーに乗り替え、Booking.comで予約しておいた昆明傾城国際青年旅舎に向かいました。

予約時に個室が満室だったため、仕方なくドミトリー(1泊45元)を予約して、人生初ドミトリーに宿泊。到着したのが深夜1時だったため、シャワーも浴びずに就寝。やはり満室のドミトリーではリラックスできなかったのか、眠りは非常に浅めでした。

翌日は騰衝に移動するつもりだったので、5時頃に起床。3時間くらいしか寝ていません。宿をチェックアウトして、82路の路線バスで西部長距離バスターミナルに向かうつもりだったのですが、いくら探しても82路のバス停が見つかりません。しばらくうろうろしていたのですが、最終的に諦めてタクシーに乗りました。タクシーで2分くらい走ったところ、目の前に82路のバスが。一体何なんだまったく。

昆明西部客運站前の屋台
西部長距離バスターミナル前には麺や餃子を出す出店がずらり

昆明西部客運站
西部長距離バスターミナル。中国のバスターミナルってわりとよくホテルが併設されてますね。

騰衝までのバスチケットは1枚235元。午前9時に昆明西部長距離バスターミナルを出発しました。座席もわりとゆったりした、乗り心地のよい新しめの大きなバスでした。中国の長距離バスでは走行中に前方のテレビで映画を流すことも多いのですが、今回はなぜか『パットン大戦車軍団』。チョイスが謎。途中事故渋滞に巻き込まれたこともあり、騰衝の長距離バスターミナルに到着したのは午後7時半。10時間半のバスの旅でした。

騰衝行きのバス車窓
バスの車窓からはモスクも見えました。少数民族の多い土地は宗教的にも多様です。

2. 騰衝

騰衝では玉茗居酒店というホテルをやはりBooking.comで予約していました。玉茗居酒店は騰衝の北東部、バスターミナルは南部。タクシーを使おうかとも思ったのですが、町中にある銀行の位置も把握しておきたかったので歩くことにしました。

騰衝の繁華街
騰衝の繁華街。中国の市街地はどこも似ていますね。

街に到着したときにはまだ明るかったのですが、1時間ほど歩いて街の繁華街を抜けるころにはすっかり夜になっていました。ホテルの場所は北部の川沿いという風に把握していたのですが、正確な位置が分からなかったためうろうろ。どんどん人通りの少ない通りに入ってしまい、全然見つからず、その辺の商店の人や警備員さんなんかに片っ端から「玉茗居酒店を知らないか」と聞いてまわるものの誰も知りません。諦めてタクシーに乗ろうとしてもタクシーが走ってない。途方に暮れてうろうろしていたのですが、最終的にはホテルに電話を掛けてどこにあるのか聞くことにしました。

後で分かったのですが、電話に出てくれたのはホテルのご主人。川のそばにいるんだけど、というぼくに対し、まず遅くなっても大丈夫だから焦らなくていい、と言い、川のそばなら近くのはずだから、何か名前が書いてあるお店はないか? と聞いてくれました。たまたますぐ後ろに家具屋さんがあったのですが、漢字が難しく、中国語での読み方が分からない。ちょうど家具屋さんのおかみさんの姿が見えたので、電話を変わってもらい、状況を説明してもらいました。

しばらくするとホテルのご主人が電動スクーターで迎えにきてくれました。二人乗りでホテルに向かいます。到着してみると、電話をした場所のすぐそばの川の向かい側。ただ、道から団地の中を通って奥まった場所にあり、ちょっと知らないとたどり着けそうもない場所でした。電話して良かった。その日はしばらくご主人とお茶を飲みながら、お礼を言ったり雑談をしたりしてから就寝。

翌日は騰衝の街から5キロほど離れた古鎮、和順に向かいます。ガイドブックには和順へは乗り合いタクシーで行けると書いてあったので、乗り合いタクシーが出発する路地をしばらくうろうろしていたのですが、それらしいタクシーは1台も止まっていません。仕方なく道を走るタクシーを止めて和順まで行ってもらいました。後で分かったのですが、最近和順までバスの路線が伸び、乗り合いタクシーはなくなったようでした。知っていればバスで行ったのに。

和順古鎮
和順古鎮の牌坊。ここから先には入場券が必要。

和順古鎮
江南の水郷ほどではないですが、ここの古鎮にもきれいな流れがあります。

和順図書館 和順古鎮
和順図書館。図書館自体は近世のものらしい。

和順はインドと中国を結ぶ隊商(馬幇)の中継地として栄えた土地らしく、当時の様子を再現した像や、隊商の人々が使っていた馬具、運んでいた茶、インドからもたらされた装飾品などを展示する博物館がありました。古鎮と行ってもだいぶ整備されて観光地化されており、古鎮テーマパークとでも言ったほうがよさそうな町でした。近くに湖もあってのんびりした町です。

和順古鎮
こんな感じの馬幇の様子を表した像がいくつかあります。

和順古鎮
めちゃくちゃのどかです。

この和順は共産主義の思想家である艾思奇の故郷らしく、旧居が展示館として公開されています。また、騰衝は日中戦争時にはビルマから入ってきた日本軍と中共軍の激戦が行われた土地であり、和順にも抗戦博物館があります。ただ、現在では展示品はすべて騰衝の博物館に持っていってしまったらしく、和順の博物館はがらんとしていました。

艾思奇記念館 和順古鎮
艾思奇記念館にあった艾思奇の像。結構ハンサム。

帰り道はバスがあることに気づかずタクシーを使ってしまった自分への罰として5キロの徒歩。沿道はたいして見どころもないので、よっぽどの物好きでもなければ、バスかタクシーを使うことをお勧めします。

いったん長距離バスターミナルまで行って2日後の六庫行きの切符を入手したあと、再度街を縦断して叠水河景区という市街地にある風景区へ行きました。街からすぐ近くにも関わらず、なかなか立派な滝があり、入場券の値段(20元)の割になかなか楽しめる観光地です。

叠水河景区 騰衝
市街地にあるにしては大きな滝。

すぐそばには国殤墓園という、日中戦争で戦死した兵士の墓があり、ここには当時騰衝で亡くなった日本兵も倭塚という塚に葬られています。国殤墓園のとなりには滇西抗戦記念館という博物館もあります。当時の日本兵が使っていた機械式の拳銃(恐らくモーゼル)など、なかなか興味深い展示もありましたが、当然ながら少々ハードな展示が多かったです。

倭塚 騰衝
国殤墓園内の倭塚。ここに日本兵が葬られています。

滇西抗戦記念館 騰衝
滇西抗戦記念館。団体旅行では必ずコースに組み込まれてるみたいで、大型バスが何台も停まっていました。

翌日は熱海、という何だか日本の温泉地のような名前の観光地へ出かけました。騰衝の街から南に20キロほど離れており、やはり乗り合いタクシーが出ています。ぼくは乗り合いタクシーで行ったのですが、行ってみるとやはり路線バスもありそうな感じでした。騰衝の路線バスは案外郊外まで走っているのかもしれません。

熱海景区 騰衝
どうやら国家5A級旅行景区から4A級に格下げされたらしく、石碑が切ない。

騰衝の熱海も日本の熱海同様温泉地です。入場料とは別料金で入れる温泉がふたつあるのですが、1カ所は遊歩道からまる見えな上に入浴している人がほとんどおらず、入った場合さらし者のような状態になってしまうので諦め、もう1カ所はエステやら色々ついていて高額なので結局入りませんでした。入浴しなくても、間欠泉のようにお湯が噴き出している場所があったり、90度以上の高温のお湯が沸いている場所がいくつかあったりと、景区内を散策しているだけでもかなり面白い。景区の駐車場を歩いていると、地元の方が鶏の卵を売りにくるのですが、その卵を持って景区に入ると、大滾鍋といういちばん大きな熱湯が湧いている場所で蒸し卵を作れます。

熱海景区 騰衝
熱湯が吹き上がっています。

珍珠泉 熱海景区 騰衝
珍珠泉。水温は96度らしい。

大滾鍋 熱海景区 騰衝
大滾鍋はいちばんの撮影スポットらしく、ネット上でもよく見かけます。左奥に卵などを蒸すかごが見えます。

大滾鍋 熱海景区 騰衝
かごを開けるとこんな感じ。上に乗ってるのがぼくの卵。トウモロコシもあります。

翌日、朝8時のバスで怒江リス族自治区の中心都市である六庫鎮に向かう……はずだったのですが、いつまで待ってもバスがやってきません。10分くらい前になったら係のお姉さんがやってきました。で、ぼくが8時のバスを待っていると知ると、「あら、まだ来てないわね。じゃあ今日は運休かしら」と言って9時のバスに振り替えてくれました。さすがの中国田舎クォリティ(さすがに上海とかではこういうことはない、と思う)。バスは20人乗りくらいの小型のもの。外国人はぼくのほかに、5人くらい香港のおじさんたちが乗っていました。香港は外国ではない気もしますが、六庫鎮に入る手前の検問で、ぼくと彼らだけバスから降ろされて身分証をチェックされたので扱いは外国人と同じみたいです。

3. 怒江リス族自治区

六庫鎮にはお昼過ぎに到着。この町は標高がかなり低いので4月でも日中はかなり暑い。怒江(サルウィン川)の眺めくらいしか見るものもない町なので、日中は宿でだらーっと伸びていました。それにしてもここまで来ると漢民族ではなさそうな容貌の人が多く見られます。雰囲気としては東南アジアっぽい。

六庫にて
バスターミナルから見える「怒江大峡谷」の花文字。花は少ないけど。

怒江 六庫
六庫鎮は怒江沿いに広がった街。

向陽橋 六庫
向陽橋のたもとはちょっとしたマーケット。

翌日、朝8時の丙中洛行きのバスに乗ります。六庫から丙中洛までは10時間ほどの行程をひたすら怒江沿いの道を走っていきます。怒江の両側は高い山々に挟まれており、そこを細い道が縫うように通っています。15人くらいしか乗れないバンのような車で、運転手さんの横の席を確保したので見晴らしもよく、ほくほく。ただ、この席だと崖から落ちたり対向車と衝突したらまず死ぬだろうなぁ、と思いながら乗っていました。ちなみに運転手さんは黎明(レオン・ライ)をちょっとワイルドにした感じのイケメンでした。

丙中洛行きバス車窓
ロバや馬が運搬道具として現役です。

石月亮 丙中洛行きバス車窓
石月亮鎮の近くにある石月亮という奇観。石月亮は「石の月」の意。

丙中洛行きバス車窓
こんな感じの道を走っていきます。

途中、いくつかの小さな町を通り過ぎ、匹河と福貢、貢山で休憩を挟みつつ、夕方5時ごろに丙中洛の町に到着しました。丙中洛は町といっても道は1本しかなく、その両側に300mからせいぜい500mくらいの間、家や商店が並んでいるだけの小さな集落です。これでもこの辺りではもっとも大きな町。食堂で炒飯とスープという代わり映えのしない夕食をとり、翌日にそなえて早めに休みました。

丙中洛
丙中洛村。通りはこれ1本。

翌日はちょっとしたトレッキングです。丙中洛から12キロほど離れた霧里村まで、いくつかの村を経由しながら怒江ぞいの山道を歩いて行きます。霧里まで行く方法としては、秋那桶村まで行く乗り合いタクシーに乗って途中の朝紅橋のたもとで降り、そこから20分ほど歩いて行く、という方法もあるのですが、乗り合いタクシーは人が集まらないと出発せず、下手をすると運行されない日もあるという話だったので、素直に歩くことにしました。実際、朝紅橋までの間に乗り合いタクシーに追い抜かれることはありませんでした。

オボ 丙中洛~重丁
トレッキング中に見かけたオボ。リス族自治区ですが、チベット民族も住んでいます。

丙中洛~重丁
橋で小さな流れを越えます。

丙中洛~重丁
横は断崖絶壁。

重丁~石关门
花がきれい。

重丁、甲生、四季桶と、ちょっとした集落を通りぬけるたびに2、3匹からなる犬の小隊があらわれてこちらに吠えかけながら追いかけてきます。かまれたら痛いだろうし狂犬病も怖いしで、ビクビクしながらも犬に悟られないように虚勢を張ってにらみつけながら通りぬけてゆきます。山の景色も美しいし、素朴な村の風景もなかなかすてきなのですが、どうにも犬には参りました。ちょうどぼくの少し先をひとりのお兄さんが歩いていたので、犬が出てくるポイントが事前に分かったのは助かりました。

重丁~石关门
こんな感じの小さな村がいくつか。前にお兄さんが写ってますね。

重丁~石关门
ブタ。とくに柵もなくフリーに生きていらっしゃる。

重丁~石关门
河、道、山。以上。

石关门
石門関というポイント。門っぽい?

リス語 石关门~四季桶
石にリス語で何か書いてあります。

四季桶
四季桶村。

四季桶
四季桶村唯一の雑貨店。

朝紅橋から車道に別れを告げ、いにしえの茶馬古道の一部だという、岩肌をくりぬいて作られた細い道を行きます。20分ほど歩いていくと、霧里村に到着です。茶馬古道を歩いていると、前から見覚えのあるおじさんたちがやって来ます。あ、おとといの香港人だ。向こうもこちらを認識したようで、「やあやあまた会ったね」とか「君も来たのかい。ここはいいところだね」みたいなことを英語と広東語のチャンポンでお互いに言いあいながらすれ違います。村に入ると、突き当たりに1軒の小さな食堂がありました。ちょうど前を歩いていたお兄さんも来ており、流れで一緒にご飯を食べることに。

雾里(対岸より)
対岸から見た霧里村。

雾里(対岸より)
別アングルから。

茶馬古道
茶馬古道を対岸から見るとこんな感じ。

朝紅橋
朽ちかけた朝紅橋。となりに車も通れる新しい橋が架かっているので安心。

茶馬古道(雾里へ)
茶馬古道。転んだら落ちます。

雾里
霧里の町並み。

雾里
町並みその2。

店の前庭で雑談していたら、右足に鈍い痛み。何ということ。油断していた一瞬に、店の飼い犬にふくらはぎをかまれてしまいました。幸い、ズボンの上からであり、じゃれた甘がみでもあったため、皮膚を食いやぶられてはいませんでした。翌日、念のために丙中洛の衛生室を訪れましたが、出血がなければ感染症の心配はない、とのお墨付きをいただきました。話を戻すと、一緒に食事をしたお兄さんは内モンゴルからの旅行者らしく、「そんなに遠いところから来たの」と驚いたら、「日本だって遠いじゃない」と笑われました。確かに。

連れ立って茶馬古道をもどり、さらに奥にある秋那桶村に向かうという内モンゴルのお兄さんとは朝紅橋で別れ、またもとの道をたどって丙中洛を目指します。途中の重丁村にあるキリスト教会ではミサを行っており、普段は閉まっている教会の門が開いていたため、中を見せていただきました。丙中洛の宿の方も来ていたので、教会前の広場に座ってしゃべっていたら、ぼくまでリンゴやふかしたジャガイモ、トウモロコシがゆといった振る舞いをいただいてしまい、恐縮することしきり。

重丁教会
重丁教会。ミサなので正装の人がたくさん。

重丁教会にて
真ん中でリンゴを持ってるお姉さん。遠慮してたら「いいから食え」と食わされました。

翌日、丙中洛の近くの東風村というチベット民族の村にある寺院を見学するために村を目指します。ガイドブックによると、道をしばらく歩いて行くと、村に行くための細い分かれ道がある、とのことだったのでどこまでも歩いていったのですが、分かれ道がまったく見つからない。かなり歩いて行って、どう考えてもおかしいだろうと諦めて戻っていたところ、2人の子供たちが道の下からひょこっと出てきました。見てみると、茂みを縫って下に降りて行く道がついていました。試みに降りてゆくと、小さな橋があって川を渡れます。川を渡り、再び登っていくと、東風村の裏手あたりに出たようでした。そこから少し歩いて行くと家がちらほらあり、寺院も見つけることができました。

东风村~丙中洛
小さな橋。

东风村
東風村。

寺院にはひとりのチベット民族のおじさんがおり、ぼくが入っていくと手招きして何やら手を差し出してきます。拝観料かな? と思ったのですが、どうやら何かを握っているらしい。ぼくも手を出すと手のひらの上に一握りのひまわりの種を載せてくれました。お礼を言うと、うれしそうにうなずいていらっしゃいました。観光客もほとんど来ないような山奥のチベット寺院に見慣れない漢民族っぽい顔の人間がやって来たので、歓迎しようとしてくれたのですかね……?

普化寺 东风村
普化寺。小さく写っているおじさんがひまわりの種をくれました。

普化寺 东风村
お寺の内部。写真はおそらく活仏の方でしょうね。

帰り道、東風村を歩いていると、3人の子供に出会いました。ぼくがカメラを持っているのを見ると、撮ってほしそうにしていたので、写真を撮ってあげて、見せてあげました。1人はカメラが嫌いなようで、終始逃げ回っていましたが。撮らせてもらったお礼に、先ほどおじさんにいただいたひまわりの種をプレゼント。ひまわりの種ロンダリング。あるいはわらしべ長者

翌日、再びバスで六庫鎮に戻ります。バスの運転手さんは行きと同じ方で、あぁまた会ったね、みたいな会話をしながら、今度は後ろの方の席だったのでぼーっと乗って帰ってきました。六古鎮に一泊し、再びバスに乗って昆明へ。

帰りの飛行機を翌日に控え、昆明で1日時間があったので、翠湖公園という中国式の庭園のあたりをぶらぶらと。翠湖公園自体もきれいに整備された美しい公園なのですが、周囲には雲南大学だったり、雲南陸軍講武堂の跡や竜雲の後を継いで雲南軍閥を率いた盧漢の旧居だったりと、雲南の近代史に興味のある人には興味深い史跡がいくつかあります。

翠湖公園
翠湖公園。かなり広い公園です。

雲南陸軍講武堂旧址
陸軍講武堂旧址。

盧漢公館
盧漢公館。中には入れません。

雲南大学
雲南大学の会沢院という建物。

市場 昆明にて
市場の肉屋さん。

市場 昆明にて
迫力のある豚足。

翌日、昆明から東方航空便で上海へ。上海で5時間ほど乗り継ぎがあったのですが、1カ月前にも上海を訪れていたので、今回は街には出ず、空港でだらだらと過ごし、午後4時すぎの便で成田空港に帰ってきました。