おとやろぐ

イタリア製・ソ連製西部劇研究家見習い

なぜなぜ分析 ぼくの場合

とあるブログ(別に名前出してもいいんですが、そのブログでは別に本論ではなかったので出しません)で、「なぜなぜ分析」について、「結局は人の不注意に結びつける、人を責める手法」というようなことが書かれていて、そうじゃないだろ、と思ったのでちょっと書きます。

もしかすると、元ブログを書いている方の職場では「なぜなぜ分析」が原因を人に帰結させるために使われているのかもしれませんが、ぼくが以前勤めていた職場ではそうではなかった、という話でもあります。

まず、なぜなぜ分析とは、問題(アクシデント、インシデント)が発生した際、「それがなぜ起きたのか」という質問を何度も(確かぼくがいた職場では5段階くらいだった)繰り返すことによって、根本の原因を探っていく手法です。

卑近な例を挙げると、ある日寝坊して大事な約束事に間に合わなかったとします。この場合、発生した問題は「大事な約束事に間に合わなかった」ということになります。これをなぜなぜ分析にかけると、以下のようになります。

事象:大事な約束事に間に合わなかった

なぜ1:寝坊してしまったから

なぜ2:(ここではなぜ寝坊してしまったのかが問われている)前の日に遅くまで起きていたから

なぜ3:(ここではなぜ前日遅くまで起きていたのかが問われている)テレビをつけたら面白い映画がやっていたため、つい見てしまったから

といったように、問題の根本原因を追求していく手法です。もちろん上記の分析内容は一例であり、同じ事象でもこれ以外の切り口から分析していくこともあるでしょう。ぼくが元ブログの内容について疑問を感じているのがここから先の部分です。なぜなぜ分析が元ブログで書かれているような目的で行われている場合、なぜ4あたりで「ついうっかりテレビをつけてしまった」とかいうことになって、根本原因が「自分の意思の弱さ」みたいなことになって、対策としては「寝坊してはいけない日の前日には遅い時間にテレビをつけないようにする」みたいな、実効性があるのかないのか分からないものになるのでしょう。

ですが、これは本来の(というか、ぼくが勤めていた企業の)なぜなぜ分析ではダメな分析です。というか、分析が足らない。ぼくが理解しているなぜなぜ分析というのは、原因を人に押し付けるためのものではなくて、仕組み、システムの改善点を何とかして見つけるためのものです。

上の例で言えば、なぜ4が「ついテレビを付けてしまった」であれば、なぜ5あたりで「深夜1時にテレビを付けられる状態になっていた」が来て、解決法としては、「夜12時以降はテレビに電源が入らないような仕組みを組み込む」とか「翌日の起床時間を設定すると、その7時間前以降はテレビに電源が入らないような仕組みを組み込む」みたいなものが提示されるべきなのです(もちろん他にも解決法はあるでしょうし、これが最善かは分かりません。ぼくがいた職場だったら、夜12時を基準にした理由とか問われると思う)。



ここから先は自分の体験談なのですが、はっきり言って「人を原因にするためのなぜなぜ分析」の方が、「システムの改善点を見つけ出すなぜなぜ分析」よりも楽なんですよ。適当に書いて最後のなぜ5あたりに「疲れていて見落としていた」とか書いて、上司にネチネチ怒られればそれでおしまいなんですから。

その会社にいた頃、とあるシステムの機能改修で非常にくだらないミスをしたことがありました。設計書をきちんと読んで、テストをしっかりやっていれば回避できたような単純なミスです。しかし、ぼくはそのミスに気付かず、客先に納品してしまい、障害が発生したあとにそのミスに気づきました。正確には、客先からクレームが上がってきた訳ではなく、納品後しばらくしてから暇つぶしに資料をぺらぺらめくって読んでいた際に、自分で考慮漏れに気づいたのです。あの時ほど、サーっと血の気が引く体験をしたことはその後、今のところ、ありません。

障害については、ひとまず上司とともに客先には平謝り、そのシステムで処理された可能性のあるデータについて、問題が発生していないかの全件チェックを行い、急いで問題点を修正し、テストを行い、今度こそすべての問題がクリアされていることを確認したのちに再納品を行いました。幸い、客先に実害は出ていなかったこと、また、普段から懇意にしていた客先だったこともあり、なんとか円満に解決することができました。

長引いたのはその後のなぜなぜ分析でした。どう考えてもぼくのポカミスなんですよ。油断せず資料を読み込んでいれば考慮漏れは発生しませんでしたし、一部テストケース(正確にはテストデータ)を省略しなければテスト段階で問題に気づけたはずです。遠因として、この案件の直前まで、割と過酷な客先常駐の業務に投入されており、久しぶりに自社に戻ってきて精神的に弛緩していたこと、非常に小さな修正案件だったため軽く見ていたこと、普段から保守も担当しているお客様案件だったので自分のシステム理解度を過信していたこと、あたりがありました。往々にしてそういう時に問題は起きます。

ですが、なぜなぜ分析でそれを書いても上司にハネられて通らないのです。何度書き直しても、「不注意なのは分かるけれど、それじゃあ、またこの問題が再発しちゃうじゃない」と言われて通らない。結局障害が収束してから、4ヶ月くらい業務の傍ら出してはハネられ出してはハネられを繰り返していた記憶があります。最終的に、上司とみっちりミーティングを行い、なぜ5あたりに「有識者によるテストケースレビューを実施していなかった」という原因を書き、「どんな小さな修正案件であっても、自分以外の有識者にテストケースのレビューをしてもらい、レビュー書類を残す」という対策を提案してそのときのなぜなぜ分析は収束しました(もうちょっと色々細かく対策を策定した記憶はあります)。

はっきり言って、やっている間はしんどいです。ただでさえ新しい案件で忙しいのに、いつまでも過去の自分のミスと延々向き合わなければならないので。「もうぼくが悪かったです」でいいじゃないか、と思ったこともありました。ですが、それでは失敗の経験が企業というシステムに蓄積されないのです。いま思うと、当時の上司の指導は理にかなったものだと思うし、これがなぜなぜ分析をする意味だと思います。

一方で、元ブログでの言及や、それに対するはてなブックマークコメントを見ると、なぜなぜ分析が人に原因を押し付けるために使われている職場も結構一般的にあるようで、そうではない職場、上司に恵まれたぼくは幸運だったのだなぁ、と今更ながらありがたみを感じているわけです。